間違いを叱らず、できたとこを褒める勉強の習慣、ADHDの子は、うっかりミスが多い。
わが子は、何事にも理解力が早いほうで、周りの事比べても勉強がよくできるのかも?と期待しながら育ててきました。
それが、小学校高学年になると成績が伸び悩んでしまったことがありました。その原因の一つとして、母親である私自身が、子どもの勉強へのやる気を奪っていると、反省した出来事がありました。
90点で、10点の間違いを叱る母親。
私は小学生のテストなんて、100点を取れて当たり前のような、確認テストが多いと考えていました。そこでテストでは100点を取って当たり前で、90点を取って帰って来た時には、私は頑張った90点ではなく、取れなかった10点に着目してしまい、間違えた部分に対して、がみがみ説教をしてしまっていました。
「なんで、こんな問題で間違えるの?3回読んだらわかるよね?」と、責めてしまっていたのです。
不注意の間違いをさせない、そのためにガミガミ説教。子供のやる気をつぶしてました。
自分でも子どもは褒めてこそ伸びると、色々な本を読んだり、母親が集まる講演会を聞いたりする中で、意識していたつもりだったのですが、私は本当に子どもの勉強へのやる気を、まるでつぶしてしまっていました。
それも、一度したミスのことを、再度ミスしないようにという、親の過剰な根回しをしてしまい、掘り返して注意してしまっていました。
親が気を付けてあげなければと、半ば使命感のようなものさえ持ってしまっていました。その自分の間違いに気づいたのは子どもからの言葉でした。
「お母さんは褒めてくれないよね。」この一言が胸に刺さる。
「お母さんは褒めてくれないよね。先生は、この問題よく考えて解けたねって、褒めてくれたのに。」
この瞬間、自分の言ってきたこと、そして私の子どもに対しての行動が、勉強を嫌いなものにしてしまっているのを感じました。
それと同時に、自分自身が子どもの頃、私の母に褒めてもらったときのうれしさ、自信、自己肯定感、たくさんの気持ちを味わってきたことを思い出しました。
いくつになっても褒められるということは嬉しいことですし、叱られたり否定されてばかりだと、どんどんとマイナス思考のネガティブな自分になってしまいます。
私の両親が言ってくれた、優しい褒め言葉。大人になった今でも覚えてる。
私が子どもの頃に「頑張ってるね。無理していない?」と、母親に言われたことや、学校のテストで点が伸び悩んで、涙した時に父親から、「継続は力なり」「努力は必ず報われる」と、アドバイスもらったことは今でもはっきりと覚えていますし、大人になった今でも私が頑張れる原動力にもなっています。
目先のテストの点数ではなく、親子の信頼関係が一番大切。
それなのに、私は目先の点数や賞などを目安に、子供が出来る出来ないを判断してしまって、肝心の中身に関しては否定ばかり言ったり、出来ない点をなくすためのアドバイスばかりが頭に浮かんでいました。
「もっと頑張りなさい。」と言葉をかけるのではなく、「大丈夫?頑張りすぎていない?」と言う、心の余裕がありませんでした。
この良かれと思った行動が、子どもの勉強嫌いを助長させてしまっていたのだと猛反省です。頭ではわかっているつもりなのに・・。
子供は親に認めてもらいたい。
子どもは褒めてほしいのです。ちょっと失敗したなー、と口では言っても、アドバイスが欲しいのではなく、でもここの部分、工夫できてるね。とか、のびのび書けていてお母さんは好きだなと、お母さんに認めてもらいたいし、自分のことをもっと見ていて欲しかったんだなと思います。
親は子供の勉強を褒める習慣を。それが子供のやる気を伸ばす。
まだまだ私の悪いところで、のど元過ぎれば・・で、つい、ガミガミ説教するいつもの悪い癖が出てしまうこともあります。
今でもつい、なぜこの問題がわからなかったの?とか、計算ミスしなかったら100点だったのに、などと口にしてしまうことがあるのですが、子どもを褒めて褒めて褒めまくることを、母親である自分への課題として頑張っているところです。